伊勢 矢田城
Yada castle

矢田城跡・走井山公園【三重県桑名市矢田267】
       勧学寺【三重県桑名市矢田266】

【立地】丘城

【歴史】室町時代、毛利家の家臣山内勘解由左衛門俊行の子俊元は、伊勢国司北畠氏に属し
てこの地に城を築き、山内姓を改め矢田半右衛門俊元と称した。俊元は桑名三十六家の一人
で、西別所城主後藤弥五郎・額田城主後藤太郎左衛門基則・蓮花寺城主後藤十郎左衛門・安
永城主岩田権六など近郷の諸氏を押さえ、当地方の中心的存在であったと伝わる。永禄年間
(1558〜1570年)織田信長勢の攻撃より落城。『伊勢名勝志』では、1577年滝
川一益に攻められて自害するとあるが、永禄年間、信長の伊勢侵攻で落城した文献の方が多
い。長島一向一揆の際は前線基地として使われ、1574年滝川一益が長島城主になった時
、家臣の杉山十左衛門・野呂孫右衛門を矢田城に置いて守らせている。1583年羽柴秀吉
が北伊勢の滝川一益に迫った時、矢田城も落城したと思われる。元和年間(1615〜16
24年)松平定綱が勧学寺を城跡に創建した。現在は境内、公園になり、遺構は無い。


【所感】走井山公園は勧学寺と駐車場が1段目、石段を上った広場が2段目という形になっ
ており、縄張はよく分かりませんが、本丸、二の丸という感じです。城跡の南は三岐鉄道北
勢線馬道駅、北側は住宅地になっています。公園には115本のソメイヨシノが植えられ、
花見の時期は賑わうそうです。



走井山公園入口・矢田城跡



走井山公園の看板・矢田城跡



殉国碑・走井山公園・矢田城跡



お菊稲荷の鳥居・走井山公園・矢田城跡



お菊稲荷と白龍龍神と庚申供養塔・走井山公園・矢田城跡



愛宕山庚申碑・走井山公園と勧学寺の駐車場・矢田城跡



走井山勧学寺と矢田城跡の看板・勧学寺・矢田城跡



走井山 勧学寺・矢田城跡