大和 郡山城
Koriyama castle

     郡山城跡【奈良県大和郡山市城内町】
   郡山城跡公園【奈良県大和郡山市城内町3】
やまと郡山城ホール【奈良県大和郡山市北郡山町211−3】
   郡山高等学校【奈良県大和郡山市城内町1−26】
   城内高等学校【奈良県大和郡山市城内町2−45】
 大和郡山市民会館【奈良県大和郡山市城内町2−7】
     柳沢神社【奈良県大和郡山市城内町2−18】
      法隆寺【奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1−1】
      東大寺【奈良県奈良市雑司町406−1】

【立地】平山城
【別称】犬伏城

【県指定史跡】

【歴史】1577年、信長への謀反で松永久秀が滅亡し、久秀の居城多聞城の石垣が郡山城
へ移される。1578〜1579年筒井順慶が縄張を行い、1580年に入る。一国一城令
に基づき拡張し、1583年に天守閣が完成。1584年順慶は病死となり、秀吉の弟豊臣
秀長が大和、和泉、紀伊国を得て、100万石で入る。以後も南都の寺院や平城京跡から石
材を収集し、現在に残る遺構の大部分を改修した。1591年秀長が病死、1595年その
子秀保も病死となり、増田長盛が入る。1600「関ヶ原の戦い」の際、一時廃城となるが
、1615年「大坂夏の陣」の戦功により、水野勝成が入封。1619年松平忠明、172
4年柳沢吉里が入り、柳沢氏が代々続き、明治を迎える。現在は郡山城跡として櫓、門が復
元され、曲輪、石垣、水堀などが多く残る。

【所感】やまと郡山城ホールの西、郡山高等学校の北、城内高等学校の南に在り、城内にも
大和郡山市民会館、柳沢神社が在ります。とにかく、石垣と水堀が多く残り、天守台も在っ
て、城跡の雰囲気を感じることが出来ます。奈良県に来たら、法隆寺、東大寺とセットで訪
ねて欲しいと思います。




鉄御門跡



五軒屋敷堀



桜御門跡



五軒屋敷跡



追手門〔梅林門〕



多聞櫓



追手向櫓



毘沙門曲輪横の内堀



追手東隅櫓



追手東隅櫓と多聞櫓



頬當門と柳御門の石垣



頬當門の石垣



西御門辺り・郡山高等学校



鷺堀



鰻堀



左京堀



松陰門の石垣



表門跡の石碑



竹林橋跡



竹林門跡と竹林橋櫓台



久護門跡



毘沙門曲輪



本丸・柳澤神社



御厩向櫓跡



月見櫓跡



天守台