尾張 山澄屋敷
Yamazumi residence
山澄屋敷跡【愛知県知多市大草字東屋敷】
【立地】丘地
【歴史】1631年より尾張藩主初代徳川義直、2代光友に仕えた山澄淡路守英龍の屋敷と
される。1666年より大草を給知され、城に隣接した標高10mの丘陵上に置いた屋敷で
、代々管理に務めた。尾張藩の有事に於ける再利用を目的としたと思われる。英龍の後、英
重〔英要〕=英貞〔養子〕=龍豊〔木造顕貞〕−龍明〔豊充〕−豊尚〔豊吉〕=龍宮〔豊鉄
・高木秀真の次男〕−豊功〔豊吉〕=龍利〔龍吉・成瀬正肥の子〕と続いた。現在は畑地に
変わり、遺構は無い。
【所感】大草公園の南西に隣接して在る丘地でビニールハウスと畑地になっています。大草
城主郭西から水堀を経て、屋敷跡へ行けるようになっています。
山澄屋敷跡