尾張 岩滑城
Yanabe castle
岩滑城跡・常福院【愛知県半田市岩滑中町7丁目23】
八幡社【愛知県半田市岩滑中町7丁目80】
新美南吉生家【愛知県半田市岩滑中町1丁目83】
【立地】丘城
【別称】竹中源助邸
【歴史】16世紀中期、岩滑は水野氏の支配下にあり、中山刑部大輔勝時が治めたと云う。水野忠政の
五女で於大〔家康の実母〕の妹を妻とした。永禄年間(1558〜1570年)、菩提寺となる常福院
を創建。1582年「本能寺の変」の際、勝時は織田信忠とともに京都二条で討死した。その子猪右衛
門は織田信雄に仕え、北伊勢を領した時期もあり、美浜町矢梨に居たこともあったと云う。その後、家
康に仕えたが、家康と猪右衛門は従兄弟関係にある。城主に榊原主殿の名もある。西隣りに〔同地とも
〕に勝時の家臣竹中源助重利も居住したと云う。重利は竹中半兵衛重治の従兄弟にあたり、中山氏とと
もに秀吉に仕え、後に大名になった。現在は常福院、住宅に変わり、遺構は無い。
【所感】矢勝川の南、八幡社の西に常福院が在ります。城は常福院、或いはその西側に在ったとされま
すが、寺の敷地だけが周囲より1m程高くなっており、山号も「甲城山」で城だった雰囲気が漂ってい
ます。城の西隣りに竹中源助邸跡が在ったようです。童話「ごんぎつね」で知られる新美南吉の生家に
近く、八幡社や常福院も南吉ゆかりの地になっています。
岩滑城跡・常福院・竹中源助邸の東に隣接
中山氏の家老が植えたと伝わる大ソテツ・常福院〔写真:左〕中山氏が応神天皇を祀った八幡社〔写真:右〕