三河 矢並城
Yanami castle
矢並上本城【愛知県豊田市矢並町広畑・大坪】
矢並下本城【愛知県豊田市矢並町桑原田】
矢並小学校【愛知県豊田市矢並町大坪901−7】
【立地】山城
【別称】矢並村古城
【歴史】伝承によると、文治年間(1185〜1190年)、三河鈴木氏の始祖鈴木重善〔11
20〜1208年・重康・善阿弥〕の築城と云う。矢並には上本城〔標高188m、比高60m
〕・下本城〔標高191m、比高90m〕・善阿弥屋敷が在り、平時は屋敷、戦時は城と使い分
けていたようである。重善は紀州国藤白郷〔和歌山県海南市〕に生まれ、長子の重友〔矢並鈴木
氏の祖〕・次男重延〔竹村鈴木氏の祖〕・三男重基〔市木鈴木氏の祖〕と共に矢並に来住。源義
経が奥州へ逃れる際、甥の鈴木重家・重清が従っているのを思慕し、1189年自身も奥州へ下
ろうと試みたが、途中、頼朝方の警戒が厳しく、出家して善阿弥と称した。三河国矢作〔岡崎市
〕で足を傷めて数日間逗留の間、奥州藤原氏が落ち、源義経・鈴木重家・鈴木重清の討死を聞い
て下向を諦め、矢並に永住することを決めたと云う。現在は矢並上本城に曲輪、堀、土塁、矢並
下本城に曲輪が残る。
【所感】県道487号線と県道343号線が交差する北側の山が矢並上本城で、矢並小学校の西
側の山になります。矢並下本城はその交差点から600m程南西に進んだ右手の山になります。
東海環状自動車道〔MAGロード〕の鞍ヶ池ハイウェイオアシス〔バス停前〕に「矢並下本城」
の石碑があることを知り、登城することにしました。下本城南麓の畑で働く人〔天野氏〕に登城
口を訪ねたら、一緒に城跡まで案内してくれることになりました。実は東海環状道路の工事で城
跡が削られることになり、天野氏が公団に嘆願して石碑を立てたという話を登城中に聞き、ちょ
っと感動してしまいました。石碑がある山頂でしばらくお話をしましたが、自動車道の山を削っ
た傾面に屋敷があり、発掘調査で柱のほぞ穴が見つかったそうです。現在の山頂はフェンスで道
路側に入れないように囲われ、その手前に石碑が立っています。流石に天野氏は三河鈴木氏に詳
しく、鞍ヶ池を眼下に見ながら、歴史についていろいろと教わりました。工事後、3度程登城し
たそうですが、石碑の写真を撮っていなかったそうで、目的が一緒になった訳です。とても助か
りました!
矢並上本城跡遠景
矢並下本城跡の石碑・鞍ヶ池P.A.〔写真:左〕城跡に立つ矢並下本城跡の石碑〔写真:右〕