遠江 横地城
Yokochi castle

横地城跡【静岡県菊川市東横地・神尾】

【立地】山城
【別称】金寿城

【国指定史跡】菊川城館遺跡群 高田大屋敷遺跡 横地氏城館跡
【県指定史跡】

【歴史】横地城は横地氏が本拠防衛の拠点として、1400年代前期〜中期に築城したとさ
れ、1466〜1476年「応仁、文明の乱」の際、西軍の斯波義廉に属する横地氏・勝間
田氏が、東軍の今川義忠に攻められ、1476年落城したと云う。横地氏の始祖は、源(八
幡太郎)義家〔1039〜1106年〕と相良太郎藤原光頼の娘との間に生まれた家長(家
永)と伝わる。2代頼兼を経て3代長宗は、1156年「保元の乱」で源義朝に従い、11
80〜1185年「治承・寿永の乱」の際、4代長重は源頼朝・源義経に従って「一ノ谷・
屋島・壇ノ浦の戦い」に参戦している。長直−師重−師長と続き、8代長国は南北朝期に北
朝方に属し、遠江・信濃に於ける南朝方の連絡を遮断すべく井伊・天野氏と戦い、天竜川流
域・佐久間地方や犬居・二俣などを40年程支配したと云う。その後、長則−家長−長豊−
長泰−長秀−秀国と続き、15代元国ー16代元次は武田氏に仕え、17代義次は武田信玄
・勝頼を経て家康に仕えた。現在は「御前崎遠州灘県立自然公園」の1つとして整備され、
2004年国指定史跡となり、曲輪、土塁、堀切、井戸跡などが残る。

【所感】とにかく広い。出来る限り多くの遺構を撮りたいと思い、あちこち周っていたら3
時間程掛かってしまった。登城口・駐車場は幾つか在るようですが、私は上池・丑池の間の
駐車場に止め、S字の道を上って尾根に乗りました。上りきったら、標柱にあるように右方
へ進むと、横地城跡の「西の城」エリアへ着きます。「西の城」の最高所〔標高90m〕は
横地神社が在る場所で、南北に長い形をしています。神社に続く石段の脇には腰曲輪、横掘
、土塁などが在り、見所になっています。広大な千畳敷を横に東進すると、標高80m程の
「中の城」に着きます。曲輪に上ると、南西から南東にかけて低い土塁が残り、南西端の土
塁下に浅い横掘が確認出来ます。更に東進すると、最奥の「東の城」エリアに着きます。最
高所〔標高100m〕が本丸で、北側に腰曲輪を二段設け、最下段の広い曲輪に井戸跡が在
ります。井戸曲輪の北に延びる尾根は堀切で仕切られ、堀切遺構の状態が良いので撮らずに
はいられなくなります。その他にも横地一族の墓や館跡など、城主ゆかりの地が多く有り、
撮影は尽きません。





一騎駆・西の丸西方



金玉落としの谷・西の丸西方



井戸跡・西の城西側




横地神社石段脇の土塁と横堀・西の城



本城曲輪南側の腰曲輪・西の丸



本城曲輪・西の丸・横地神社




千畳敷・西の城南側



中の城西側の横堀と千畳敷に繋がる斜面



中の城西端の土塁



中の城



道沿いに立つ中城跡の碑・中の城



中の城東側の堀切



木戸跡・東の城入口



本城曲輪西側の腰曲輪・東の城





本城曲輪・東の城



本城曲輪北側の腰曲輪・東の城



井戸跡・本城曲輪北側の腰曲輪・東の城



東の城東側1つ目の堀切



東の城東側2つ目の堀切



東の城東方の一騎駆



斯波武衛邸宅跡



藤丸館跡・茶畑



横地氏一族の墓