三河 吉川古屋敷
Yoshikawa old residence
吉川古屋敷跡【愛知県新城市吉川字中野71】
【立地】丘地
【別称】豊田藤助屋敷・吉川村古屋敷
【歴史】標高86m、比高16mの段丘端に在り、永正年間(1504〜1521年)以来
、この地に居住した豊田氏、豊田藤助秀吉の屋敷とされる。1575年「長篠、設楽ヶ原の
戦い」の際、織田・徳川連合軍は長篠城を睨む武田方の5砦〔鳶ヶ巣山・久間山・中山・姥
ヶ懐・君ヶ伏床〕を攻めるべく、酒井忠次ら2000の奇襲隊を送り込んだ。その際に先導
役を務めた人物が豊田藤助秀吉である。松山観音堂辺りで馬を降り、険しい山道を歩き、背
後から5砦を攻めて落した。子孫は代々この地に住み、住宅、畑地となり、遺構は無い。
【所感】県道392号線、県道69号線が交差する鳥原信号を東の県道392号線を進みま
す。1500m程進むと、左から上って来る県道433号線と合流し、更に900m程進む
と、吉川処理場の場所で県道433号線と県道392号線が分岐します。この分岐点〔大入
川×小黒田川の合流点〕内側の舌状丘陵上になります。石積みの豊田建築を入った御子孫宅
前に豊田藤助屋敷跡の石碑と説明看板が在ります。
吉川古屋敷跡〔写真:左〕豊田藤助屋敷跡の石碑〔写真:右〕