肥前 吉野ヶ里
Yoshinogari

    吉野ヶ里【佐賀県神崎郡吉野ヶ里町田手・大曲、神埼市神埼町鶴・志波屋・田道ヶ里】
吉野ヶ里歴史公園【佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843】

【立地】平城〔環濠集落〕

【国特別史跡】吉野ヶ里遺跡

【歴史】吉野ヶ里遺跡は脊振山地から佐賀平野へ向って伸びる通称「志波屋・吉野ヶ里丘陵〔標高10
〜26m、比高10m〕」の南部に位置する。もともと神埼工業団地造成に伴う事前事業として発掘調
査が行われていたが、大規模な環濠集落と墳丘墓が発見されたから工事は中止、一転して全面保存への
動きに変わった。弥生時代〔紀元前3年頃〜紀元後300年頃〕後期の環濠に突出部が作られ、そこか
ら物見櫓のような掘立柱建物跡が発見されたことから、「魏志倭人伝」に記載されている邪馬台国を彷
彿とさせるとして注目を集めた。弥生時代、広く稲作が行われるようになると、水の権利や様々な権益
を巡って争いが起こる。外敵から人々を守る為、集落の四方に物見櫓が建てられ、集落全体を壕・土塁
・柵で囲っていることから「城」のルーツと云われる。発掘調査が進められる中で柵、建物が復元され
、現在は国営の歴史公園になっている。

【所感】弥生時代の遺跡ですが、「城のルーツ」と言われ、2006年日本100名城に認定されてま
した。もし城の認定がなかったら、来なかった場所かもしれません。しかし、実際に行ってみると、城
柵や壕、物見櫓は城の様であり、復元建造物の数、何処までも続く城柵に圧倒され、城や遺跡に関心の
薄い人でも弥生時代の集落の様子が肌で感じられる場所と感じました。今後も更に復元が拡張されると
思いますが、機会があればまた訪ねたいと思わせるものがあります。






南内郭の物見櫓から見た壕と城柵



南内郭の物見櫓

 

北内郭の二重壕



北内郭の建物



北墳丘墓南側の甕棺墓列

 

北墳丘墓南側の壕〔写真:左〕北墳丘墓北側の壕〔写真:右〕



北墳丘墓の甕棺