因幡 由良台場
Yura Daiba
由良台場跡【鳥取県東伯郡北栄町由良宿】
お台場公園【鳥取県東伯郡北栄町由良宿1458−16】
【立地】平地
【別称】鳥取藩台場跡
【国指定史跡】鳥取藩台場跡(由良台場跡、境台場跡、淀江台場跡、橋津台場跡、浦富台場跡、
赤碕台場跡)
【歴史】鳥取藩が設置した台場〔由良・浦富・浜坂・赤碕・境・賀露・橋津・淀江〕の第1号で、18
63年6月〜1864年2月、藩倉が置かれていた由良湊に築かれた。鳥取城主池田慶徳は江戸湾防衛
の為、武蔵国本牧、及び、金杉の警固を担当した。ペリー来航後、砲術主眼の海岸防衛体制を因幡・伯
耆にも徹底する方針を決め、1857年7月六尾反射炉を完成させて大砲〔六十斤砲・二十四斤砲・十
五斤砲・五寸径砲〕の鋳造を始めた。総指揮者は反射炉建造にも携わり、高島秋帆より西洋砲術を学ん
だ武信潤太郎が務めた。形状は方形の前方二角を切った六角形で東西125m・南北83m、石垣は無
く、全て版築土塁で出来ている。台場の内側は三段、砲座を中段から上段に設け、そこに計4門の大砲
が配置されたが、結果、台場は一度も使われることなく明治に至り、陸軍省に移営され、1925年由
良町に払い下げられた。1988年国史跡に指定され、現在もほぼ完存しており、土塁の他に高さ5m
の方形土塁の弾薬庫跡、台場入口に一文字土塁が残る。
【所感】由良川河口の東岸、国道9号線の南、お台場公園の西に位置します。由良台場は南辺の中央に
蔀土塁を備えた入口、南東角と南西角に高見台、北の四つ角に火薬庫が在ります。砲座は東辺と西辺の
中段に各1、北辺と北西辺の上段に各1設けられ、計4ヶ所在ります〔北東辺に砲座は無い〕。台場跡
でこれ程良好な遺構を見たことが無く、感動したのと同時に台場の構造が良く分かりました。鳥取で行
くべき場所です。
由良台場跡南端の入口
由良台場跡南端の土塁
由良砲台跡
由良砲台跡西端の砲座
由良台場跡南東端の高見台
由良砲台跡東端の砲座