駿河 小山城
Koyama castle

小山城跡・展望台小山城・能満寺山公園【静岡県榛原郡吉田町片岡2519−1】
         小山城売店・駐車場【静岡県榛原郡吉田町片岡2499−2】
               能満寺【静岡県榛原郡吉田町片岡2517−1】
          吉田町郷土資料館【静岡県榛原郡吉田町片岡2537−1】
            うなぎ八木秀【静岡県榛原郡吉田町片岡2497】

【立地】丘城
【別称】吉田城
【天守の構成・形式】複合式望楼型天守

【歴史】今川氏が築いた砦が前身とされるが、築城年、規模は定かではない。標高30m、
比高20mの舌状丘陵先端に築かれる。1560年「桶狭間の戦い」で今川義元が敗れ、1
568年今川氏没落後、大井川を境に東を武田信玄、西を徳川家康が領したが、武田軍は大
井川を越えて小山城へ入った。これに対して家康は大給松平真乗を当地に配し、攻防戦の末
、1570年徳川方の城となった。しかし、1571年武田軍は2万5000の兵で攻撃し
、奪回。直ぐ様、馬場美濃守信房〔信春〕に築城を命じ、堀、土塁を築いて城を修築し、守
将に大熊備前守長秀が入った。1572年「三方ヶ原の戦い」で武田信玄は家康に快勝する
も、翌1573年病没。跡を継いだ勝頼も、1575年「長篠、設楽ヶ原の戦い」で徳川+
織田連合軍に大敗。家康は高天神城奪回に動き、1578年横須賀城ほか6つの砦を築き、
1581年榊原康政、本多忠勝らによって落城。1582年小山城も落城、廃城となり、同
年「天目山の戦い」で武田氏は滅亡した。1987年吉田町展望台小山城〔模擬天守〕が建
てられ、現在は曲輪、堀、土塁、井戸跡が残る。

【所感】小山城売店の駐車場を目指して近くまで来ると、山の上に天守風の展望台が見えて
来ます。駐車場に車を止め、能満寺横の急な階段を登ると虚空蔵尊、更に上がると、横掘、
馬出、三日月堀が目に入り、右手の桜が植わった広い場所が本曲輪です。天守風の展望台内
には武田家ゆかりのものが展示されており、最上階からは吉田町の景色、城跡を上から眺め
られます。この展望台西側の林の中に三重堀が在り、丘陵伝いを遮断すべく、深く幅のある
横堀を3列設けています。この遺構を見るために来ます。





能満寺



登城口



本曲輪





本曲輪西側の横堀



展望台から見た馬出と横堀





馬出





展望台



勘助井戸





馬出西側(二の曲輪)の横堀





三重堀





展望台西側の二重堀



大手門