三河 佐々木城
Sasaki castle
上宮寺【愛知県岡崎市上佐々木町梅ノ木36】
浄慶寺【愛知県岡崎市上佐々木町梅ノ木33】
【立地】平城
【別称】佐崎城
【市指定史跡】上宮寺
【歴史】築城年は不明。長沢松平家の庶流松平三左衛門忠倫の居城とされ、弟に梅森の松平三蔵忠就〔
信次とも直勝とも〕がいる。1540年「安城合戦」で安城城が織田信秀の手に帰すると、松平一族は
織田方と今川方に分裂したが、忠倫は織田方に属して渡・筒針に砦を構えて松平宗家8代広忠に敵対し
た。1542年頃より、上和田の砦に移って岡崎城を伺っていたが、1547年10月に至り、松平広
忠の刺客筧重忠に暗殺された。1551年弟三蔵忠就は、今川義元より兄の旧領佐々木郷を得たと云う
。1563〜1564年「三河一向一揆」の際、三蔵は荒川頼持・松平七郎昌久・酒井将監忠賀・松平
監物家次らと一揆方に属し、上宮寺の守将矢田作十郎の討死で一揆は鎮圧、家康方の勝利となる。この
時、廃城になったとされる。上宮寺・勝鬘寺・本證寺は真宗本願寺派「三河三ヶ寺」と呼ばれ、三河・
美濃・尾張・伊勢の中本山として勢力を誇っていた。本證寺〔安城市野寺町〕と同じ城郭寺院であった
ようで、南北を池に挟まれた帯状の平地の東は堀と土塁が在ったと云う。
【所感】県道48号線上佐々木信号を南へ曲がり150m程進むと、左手に浄慶寺、右手に上宮寺が在
ります。一向一揆の舞台となった勝鬘寺や本證寺の本堂は現在も木造で建っていますが、上宮寺はアー
チ型の屋根を持つ本堂、その他も近代的な建造物に変わっています。本堂の前に石川家成の母妙春尼の
墓が有ります。
石川安藝守清兼之室・松月院妙春尼の墓・石川家成の母・上宮寺