陸奥 四戸城
Shinohe castle
四戸城跡【岩手県二戸市金田一字舘】
八坂神社【岩手県二戸市金田一字舘73】
長寿寺【岩手県二戸市金田一字舘74】
金田一児童公園【岩手県二戸市金田一字野月】
秋葉神社【岩手県二戸市金田一字野月】
【立地】丘城
【別称】金田一城
【歴史】築城年は定かではない。船越山〔標高324m〕東麓の台地端に築かれた城である
。南部光行〔1165〜1236年〕の五男宗清が四戸氏の祖となるが、いつ金田一に入っ
たか不明である。現在、四戸の地名は無いが、櫛引を拠点とする八戸市の西エリア+南部町
の東エリアが四戸が在った場所とされ、この地名を名乗った。戦国時代末期は九戸氏との繋
がりが深く、四戸宗泰〔宗春〕は九戸政実の叔母を室とし、九戸政実は四戸宗泰の妹を娶っ
ている。1591年「九戸政実の乱」の前、四戸宗泰の子宗元は弟金次郎の流言で秋田に逃
れ、病没。戦後、廃城となる。現在は墓地、耕地となり、曲輪、堀が残る。
【所感】下館・中館・上館と北から順に並ぶ三郭を総称して金田一城と言い、その中で最も
規模が大きい上館を「四戸城」と呼ぶそうです。今回は上館のみを訪ねたので「四戸城」と
して紹介します。上館は長寿寺・八坂神社とその裏手一帯〔耕地・墓地〕で巨石の横に「四
戸城跡」の看板が立っています。道〔堀〕を隔てた北隣りの金田一児童公園と耕地が中館、
更に道〔堀〕を隔てた北側の秋葉神社と墓地が下館となります。城の西側に東北新幹線、東
側にいわて銀河鉄道と国道4号線が走り、その横を流れる馬渕川は一戸城跡から九戸城跡→
四戸城跡→三戸城跡→櫛引城跡→根城跡などを経て、最後、八戸港へ流れ込みます。
四戸城跡碑
四戸城跡・金田一城跡 上館
四戸城跡へ向かう道
金田山 長寿寺